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クニリカ・モービル(移動診療所)の歴史

クニリカ・モービル(移動診療所)の歴史

クニリカ・モービル(移動診療所)の歴史

今から33年前のムジェロで、ライダーたちの体調管理や負傷の治療を行う夢が始まった。そして、5年後のオーストリア・ザクツブルグで、チャンピオンシップの移動診療所ことクリニカ・モービルが誕生した。

緊急治療、適切な対応ができず、ライダーの生命が失っていたことから、レース運営者の息子であるコスタ医師は、パドックに診療所を設置することを決意。しかし、イタリア人医師とそのグループの活動は決して容易ではなかった。

ライダーの診断に必要な設備や機材を各グランプリが開催されるサーキットに輸送するには、ハイウェイや汽車、船を利用していた。しかし、輸送や設置の困難さが付きまとい、医師団の夢は大型トレーラーで移動することであった。

ザクセンリンクのパドックに初登場したクリニカ・モービルは、決して大きなトレーラーではなかった。しかし、最悪の状態を避けるためには、アクシデント後の数分が非常に重要であり、クリニカ・モービルの出現により、幸運にもフランコ・ウンチーニ、フィリップ・クロン、マイケル・ログリエ、ビルヒニア・フェラーリらの生命を次々に救った。

81年には、2台のベッドが設置された新しいトレーラーが登場。年間に約300人のライダーを含む、約3000人の患者が訪れた。そして、88年にはジャコモ・アグスティーニやケニー・ロバーツなど世界王者たちの支援を受けて、3号機が登場した。

87年500ccクラス王者のワイン・ガードナーは、ユーゴスラビア・テストで右足を5ヶ所骨折。3号機が初登場したイモラでのネイションズGPの1週間前だった。オーストラリア人ライダーは2位でフィニッシュ。感謝の意を込めて、その銀メダルをクリニカ・モービルに贈呈した。ファン・パブロ2世は、グランプリ終了後ローマに招待して、医師団の活動を祝福した。

年間15戦で約7000人の患者を治療した翌年の97年に、4号機が登場。ミック・ドゥーハンがスペイン国王のファン・カルロス1世に、5台のベッドと物理療法士専用の設備が揃ったクリニッカ・モービルを紹介した。

24時間体制で治療にあたるクリニカ・モービルの最新型5号機の登場は、3年前のスペインGPだった。

昨年、16戦で706回の転倒が記録された。1戦平均して44回。1人のライダーが年間に6回の転倒を喫したことになり、その度にクリニカ・モービルで治療を受けていた。

Tags:
MotoGP, 2005

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