イギリスの放送局『BT Sports』は、グレーテストレースという特番で、09年6月にカタルーニャ・サーキットで開催された第6戦カタルーニャGPを紹介。チームメイトのバレンティーノ・ロッシとゴールラインまで優勝争いを繰り広げたホルヘ・ロレンソを招待して、当時のレースを振り返った。
「モンメロに着いたとき、僕たちの獲得ポイントをほとんど同じで、ポイントリーダーだったケーシー・ストーナーに接近していたけど、あのレースの後からミスを犯し始め、多くのレースでポイントを失ってしまった。同じバイクを走らせていた僕とバレンティーノは似たようなタイムで走っていたから、どちらかが逃げたり、数秒のアドバンテージを広げたりすることができなかった。」
「とにかく、僕はあのレースでプッシュしていたけど、逃げることができなかった。それはバレンティーノも同じで、勝者を決める唯一の手段は最終コーナーだった。僕の中では、あの巧みな操縦は期待していなかったけど、その一方で予測をしていたもの事実。あの瞬間、スペースを閉じることにあまりにも頑固になりすぎた。少し怖かった。レース中は同じ走行ラインを維持していから、何をしていいのか分からず、彼はそこを突いてきた。思い出せば、2年前にもケーシーに対して同じように仕掛けていたから、彼にはあの動きができた。僕に対しても同じように仕掛け、負けてしまった。」
「当時22歳。経験がなかった。バレンティーノは30歳。豊富な経験を積んでいた。現実的になれば、彼はいつも僕よりもベストだった。普通のコンディションも含めて。ドゥカティに移籍したときに、非常に遅いブレーキングを理解した。ヤマハに所属していたとき、僕はブレーキングよりコーナリングが強かったけど、彼はその反対で、自身のアドバンテージを利用した。もう少しイン側に突っ込んでいたら?そんなことは決して分からないけど、彼のオーバーテイクを避けて、勝っていたかもしれない。もしかしたら、オーバーラン、またはコースアウトしてしまったかもしれない。誰が分かるだろうか。」
「最高峰クラスに昇格したとき、サーキットの内外で、僕はとても思い上がっていた態度を取ってしまった。全てがあっという間で、全てが可能だと考えた。限界がないと思い込んでいた。バイクの快適さを感じ、限界がないと感じていた。才能、バイク、タイヤのパッケージと共に最高峰クラスへの挑戦を始めて、1戦目でポールポジションを獲得。2戦目に繰り返して、3戦目には優勝を果たしたから、恐いものがなかった。」
「そのことを公の場で発言したことから、傲慢だと思う人たちがいた。バレンティーノは僕のアイドルではないと思い、アイドルは誰もいないと発言してしまった。もしかしたら、少し思い上がっていたかもしれない。彼のファン、一般的なファンには、あのような発言に慣れていなかったから、良く思われなかったけど、当時はそう考え、限界がないと思い込んでいた。序盤に並外れた結果を獲得できたけど、中国、ルマン、ムジェロの転倒でものごとの見方が少し変わり、もう一度足を地につけた」と、09年第6戦カタルーニャGPの敗因を分析した後、自身の過去の行為について考察した。
第6戦カタルーニャGP『MotoGP™クラス』~フルレース
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