イタリア放送今日のテレビ局『Rai 1(ライ・ウーノ)』で5年間F1世界選手権に参戦した経験があり、2001年の事故が原因で両足を膝上で切断した後、2012年ロンドン五輪と2016年リオ五輪のハンドサイクリングで金メダルを獲得したアレッサンドロ・ザナルディが司会を務める番組に出演したバレンティーノ・ロッシは、ケーシー・ストーナーとのバトルを繰り広げた2008年7月の第11戦アメリカGPと20年間のキャリアを振り返った。
「あのオーバーテイクは、僕のキャリアの中で最もナイスな1つだけど、あれは12年前に君があそこでやったのをコピーしたんだ。僕は何も発明しなかったと言えるだろう。最も象徴的なオーバーテイクで、人々の記憶に残るけど、あのレースでは数多くの抜き合いが繰り返され、3ラップ目には5回も6回も抜きあった。まだ27ラップも残っていたから、『助けてくれ』とつぶやいてしまった(笑)。」
「僕の夢は勝つことだったけど、僕自身何を期待していいのか分からなかった。思っていた以上に勝ったと言うことができる。そのことが嬉しい。キャリアの前半は多くの勝利を挙げたけど、その後は反対にあまり勝てず、厳しい数年間を過ごしてしまい、がっかりしたけど、12連勝を達成したときよりも気に入ったときが幾つかあった。」
「勝つことに運命づけられた。ホンダだから勝ったと言われ、2戦続けて勝てなかったら、もう終わりだとも言われた。」
「僕の選択は正真正銘にクレイジーだった。ルイス・ハミルトンがマクラーレンに移籍するためにメルセデスを辞めるようなものだった。ヤマハのプロジェクトを受け入れたとき、ホンダでは正気ではないと考えていたようだけど、最終的にはバイクだけでは勝てないことを証明した」と、衝撃的だった移籍話を語った。
第11戦アメリカGP『MotoGP™クラス』~フルレース
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