#RideOnKentuckyKid: ニッキー・ヘイデンの軌跡

『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』のニックネームで、サーキット内外で親しまれたワールドチャンピオンのキャリア。

スーパーバイク世界選手権にレッドブル・ホンダ・ワールド・スーパーバイクから参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、イタリアのイモラ・サーキットで開催された第5戦イタリア・イモラ大会に参戦した後、イタリアに滞在。17日にリミニ近郊で通常のトレーニングとして取り入れているサイクリングを実施中に自動車との接触事故に遭い、リミニ市内の病院に救急搬送され、治療と可能な手術を受けるために、チェゼーナ市内の病院に転送。深刻な臨床症状により、集中治療室で処置を受けていたが、22日の午後、入院先の病院で他界した。享年35歳。

アメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGP™クラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。

2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。

2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。

2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。

同年には、MotoGP™クラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。

2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。

『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP™世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。