18年チャンピオンのプロフィール

最高峰クラスで5度目、通算7度目のチャンピオンに輝いたスペイン人ライダーの軌跡。

レプソル・ホンダのマルク・マルケスは、第16戦日本GPの決勝レースで今季8勝目を挙げ、史上最年少となる最高峰クラス5度目のタイトル獲得に成功。通算7度目のチャンピンに輝いた。

1993年2月17日生まれ。出身地は、スペイン・カタルーニャ州リェイダ県のセルベーラ。4歳の時に初めてバイクに乗り、5歳からカタルーニャ州で開催されたエンドゥーロとモトクロスのレースに参戦。2年後にモトクロスのカタルーニャ選手権でタイトルを獲得すると、翌年の2002年にロードに転向。2004年に同郷リェイダ県出身の1999年125ccクラス王者エミリオ・アルサモラに出会い、本格的にレース活動を開始。1年目のカタルーニャ選手権125ccクラスでは、ポル・エスパルガロに続いて、総合2位に進出すると、2年目と3年目にタイトルを獲得。

2006年からはスペイン選手権125ccクラスに参戦。1年目は総合8位、ホンダからKTMに乗り換えた2年目は、第3戦ヘレス大会で初優勝を飾ったが、シーズンを通して、導入された重量制限の規定に苦戦し、総合9位に後退。

2008年、ティト・ラバットのチームメイトとして、レプソル・KTMから初参戦。プレシーズンのオフィシャルテストで右前腕を骨折したことから、序盤2戦を欠場。参戦者中で最低の身長148cm、最軽の体重40kgだったことから、最低制限の重量を満たすために約20キログラムのバラストをバイクとツナギに積み込んで第3戦ポルトガルGPでデビューすると、第4戦中国GPで12位に入り、史上最年少4番目となるポイントを獲得。第8戦イギリスGPでは3位に入り、史上最年少2番目となる表彰台を獲得(15歳と126日)。

1年目でKTM勢の最高位(総合13位)に進出した成績が評価され、2009年はファクトリーチーム、レッドブル・KTMから参戦すると、総合8位に浮上。

2010年、KTMの撤退に伴い、アジョ・モータースポーツに移籍。デルビに乗り換えると、第4戦イタリアGPで初優勝を挙げた勢いに乗って、史上最年少の5連勝を達成。第17戦ポルトガルGPでは、雨により中断で、再レースとなったサイティングラップで転倒を喫したことから、ピットに戻り、マシンを修復させ、最後尾(16番グリッド)からスタートを切ると、15人を抜いて、年間10勝目、12度目の表彰台を獲得。

最終戦バレンシアGPで、エスパルガロ弟、ニコラス・テロールとのタイトル争いを制し、史上2番目となる最年少王者(17歳と264日)に輝いた。

2011年、マルケスのために結成されたチーム・カタルーニャ・カイシャ・レプソルから中量級に参戦。開幕から3戦連続の転倒を喫したが、第4戦フランスGPで初優勝を飾ると、第9戦ドイツGPでは、19歳以下の最多優勝となる通算14勝目を達成。9戦連続の表彰台獲得で、ポイントリーダーのステファン・ブラドルを追い上げたが、第17戦マレーシアGPのフリー走行1で転倒を喫した際に左目の視力障害に見舞われたことから、残り2戦の欠場を強いられ、2年連続の2クラス制覇を逃したが、新人王と2年連続のプライベートライダーに選出。

2012年、開幕直前のオフィシャルテストで視力回復を確認。準備が整わない状態で迎えた開幕戦カタールGPで優勝を挙げると、第11戦インディアナポリスGPでは20歳以下の最多勝記録を更新する22勝目を達成。第17戦オーストラリアGPで、年間13度目の表彰台を獲得し、中量級において史上3番目となる最年少王者(19歳と254日)に輝く。

チャンピオンとして凱旋した最終戦バレンシアGPは、フリー走行のアクシデントにより、ペナルティが科せられ、最後尾(33番グリッド)からスタートしたが、史上最多となる32つのポジション奪取で年間9勝目、Moto2クラスで最多勝となる16勝目を達成。同時に故・加藤大治郎が2001年に樹立した中量級のシーズン最多獲得ポイント(322ポイント)を更新する324ポイントに到達。

2013年、新規参戦者のファクトリーチーム加入が解禁となった後、2012年7月2日にHRCと2年契約を結び、レプソル・ホンダから最高峰クラスに参戦すると、開幕戦カタールGPで3位に入り、史上最年少の表彰台とファーステストラップ(20歳と49日)を記録。

新設のサーキット・オブ・ジ・アメリカズで初開催された第2戦アメリカズGPで、史上最年少のポールポジション獲得(20歳と62日)、フレディ・スペンサーが1983年に樹立した史上最年少優勝(20歳と63日)を30年振りに更新。

第3戦スペインGPで史上最年少の3戦連続表彰台(20歳と77日)。第11戦チェコGPでマイク・ヘイルウッドが1962年に樹立した史上最年少の4連勝(20歳と189日)を51年振りに更新。第12戦イギリスGPで新人の年間最多表彰台獲得ポイントを更新。第14戦アラゴンGPで新人の史上最多勝となる6勝目を達成。

タイヤの耐久性を考慮した安全面の特別処置により、新品タイヤを装着したマシン乗り換えが義務付けられた第16戦オーストラリアGPで、ピットインのタイミングを誤認したことから失格。

最終戦バレンシアGPで、年間16度目の表彰台を獲得。スペンサーが樹立した史上最年少王者(20歳と266日)を更新し、ケニー・ロバーツ以来となる新人のタイトル獲得、ハイルウッド、フィル・リード、バレンティーノ・ロッシに続く、4人目の3クラス制覇に成功。

2014年、開幕戦カタールGPでポール・トゥ・フィニッシュを決めると、第10戦インディアナポリスGPでヘイリウッドが1964年に樹立した最高峰クラス10連勝(21歳と174日)を更新。同時に開幕からの10連勝は、1970年のジャコモ・アゴスチーニ以来2人目、10連勝は1997年のミック・ドゥーハン以来史上5人目の快挙。

第15戦日本GPで2位に入り、史上最年少の2連覇を達成。ホンダのライダーとしては初めて、ホームのツインリンクもてぎでタイトル獲得を決め、最終戦バレンシアGPでは、年間13勝を挙げ、ドゥーハンが1997年に樹立した年間最多勝を更新。

2015年は、第10戦インディアナポリスGPでホンダに通算700勝目をもたらし、第16戦オーストラリアGPでは、史上8人目の通算50勝目を達成したが、開幕戦のコースアウトをはじめ、第3戦アルゼンチンGPの接触転倒や第6戦イタリアGPの転倒などリタイアが相次ぎ、総合3位に後退。

2016年は、タイトル連覇に失敗した経験を教訓とし、確実にポイントを稼ぎ、安定して表彰台を獲得。第15戦日本GPで年間5勝目を挙げ、2年ぶりとなるタイトル奪回に成功。

2017年は、2016年6月2日に2年契約を更新したホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダから継続参戦。第3戦アメリカズGPと第9戦ドイツGPで5年連続のポール・トゥ・ウインを達成すると、第16戦オーストラリアGPで6勝目、最終戦バレンシアGPで3位に進出し、史上最年少となる最高峰クラス4度目のタイトル獲得と通算6度目のタイトル獲得(24歳と255日)に成功。

フル参戦11年目、最高峰クラス6年目の2018年は、第2戦アルゼンチンGPで連続ペナルティによりポイント圏外の18位。第6戦イタリアGPで転倒を喫して16位だったが、

第3戦アメリカズGPからの3連勝をはじめ、第7戦カタルーニャGPから連続して表彰台を獲得。ホームの第14戦アラゴンGP、初開催の第15戦タイGP、ホンダのホームレース、第16戦日本GPで3連勝、今季8勝目を挙げ、タイトル獲得に成功した。