オフィシャルポドキャスト『Last on The Brakes』は、94年から4年連続して中量級を連覇した後、最高峰クラスで総合2位を3回、総合3位を3回獲得したマックス・ビアッジを招待。『MotoGP™クラス』と『スーパーバイク世界選手権』に参戦した当時を振り返った。
「私はウェイン・レイニーを追求していた。先週、彼と会話をする機会があり、そのことを告げた。私の部屋にはヤマハ#2を走らせる彼のポスターがあり、約20年後に似たようなヤマハ#2を走らせる私のポスターを飾ることができた。とても特別だった。彼は英雄。彼と同じバイク、同じカラーリング、同じゼッケンで走ることは夢であり、目標だった。もちろん、偶然だったけど、小さな夢が叶った。」
「決断は自分が下した。『MotoGP™クラス』に参戦したとき、常に非常に優秀なチームに所属していた。ファクトリーチームでない場合でも、トップチームだった。プライベートチームに所属する機会があり、グッドなバイクを走らせたけど、それほどグッドなバイクではなかった。トップ3を闘えないことが見えてしまい、自動的に関心が薄れてしまった。06年に参戦する機会があったけど、後悔はしていない。ハイレベルのパフォーマンスを発揮するチャンスが与えられるファクトリーチーム、またはトップチームに所属する方が良いから、その機会が消滅してしまったとき、OK、家に居ようと自分に言った。考え直し、全く違う体験となるスーパーバイク世界選手権に参戦する機会があり、本当に楽しかった。」
「15年に2度のワイルドカードとして復帰したとき、自分自身を証明する機会に過ぎなかった。最後のレースから2年半が経過していたから、目標はトップ5入りだったけど、自動的な本能を失っていたことに気づかなかったから容易ではなかった。プラクティスや予選では速かったけど、レースは違った。他車と並んで走っているときに、全てをコントロールしていると感じられなかった。2週間毎に走らなければ何かを失ってしまう。」
「最後となったセパンで表彰台を獲得。優勝したジョナサン・レイは26歳、2位のチャズ・デイビスは27歳。私は44歳だったから、ストレンジな気分だった。何かがおかしい。ここにいるべきではないと思い、OK、これが最後にしよう。だけど、私は幸せでした。」