バレンティーノ・ロッシのキャリア

1996年3月の開幕戦マレーシアGPでキャリアをスタートさせ、2012年11月の最終戦バレンシアGPで26年間の現役生活に終止符を打つ

1979年2月16日生まれ(2021年開幕時の年齢は42歳)。出身地は、イタリア・アドリア海沿岸のウルビーノ。1996年に『イタリア選手権』王者として3月の開幕戦マレーシアGPから世界舞台でのキャリアを始める。

ルーキーシーズンは、第11戦チェコGPで初ポールポジションと初優勝を飾り、総合9位に進出。2年目は全15戦中11勝を挙げ、『125ccクラス』の史上2番目となる最少年王者(18歳と196日)に輝く。

参戦3年目、『250ccクラス』1年目は、終盤の4連勝を含む5勝を挙げて総合2位に進出。2年目は全16戦中9勝を挙げて史上最年少王者(20歳と250日)。

2000年、4年間所属したアプリリアを離れ、ホンダのファクトリーライダーとして最高峰クラスへの挑戦を開始。第9戦イギリスGPで、史上5番目となる最年少優勝と2番目の3クラス優勝(21歳と144日)を達成して総合2位に進出。2年目は全16戦中11勝を挙げ、史上最年少となる3クラス制覇(22歳240日)の偉業を達成。

『500ccクラス』最後のチャンピオンとして迎えた『MotoGP™クラス』元年の2002年は、全16戦中2年連続の11勝を含む15度の表彰台を獲得し圧倒的な強さと速さで初代王者に輝く。

2003年に全16戦で9勝を含む16度の表彰台を獲得して3連覇を達成した後、新たな挑戦を求め、ヤマハのファクトリーチームに移籍。開幕戦となった南アフリカGPで、史上初となる2メーカーでの連勝を達成(前年の最終戦バレンシアGPで優勝)。第15戦オーストラリアGPでは、史上4人目となる別メーカーでのタイトル防衛に成功。

2005年は、史上2人目となる開幕からの5連勝を始め、年間最多獲得ポイント(367ポイント)など数々の記録を書き換え、最高峰クラス5連覇を達成。

2006年は、2001年から続いていた開幕戦優勝を逃すと、転倒やマシントラブルが相次ぎ、8ポイント差のアドバンテージで迎えた最終戦バレンシアGPでは転倒により、5ポイント差でタイトルを逃す。2007年は、第9戦TTアッセンで11番グリッドから逆転優勝を飾り、ヤマハに最高峰クラス150勝目をもたらしたが、開幕からチャンピオンシップをリードすることができず、最終的に総合3位に後退。

2008年は、ミシュランからブリヂストンにタイヤを履き替え、プレシーズンからタイヤの特性に適応するセットアップを追求すると、第6戦イタリアGPで7年連続の優勝。第14戦インディアナポリスGPで最高峰クラス最多勝(69勝)を更新。そして、ヤマハの地元となった第15戦日本GPで8勝目を飾り、タイトル奪回に成功。

2009年は、2002年にスタートした『MotoGP™クラス』の唯一の連続参戦者として、タイトル防衛に挑戦すると、開幕から安定して表彰台を獲得。第7戦TTアッセンで通算100勝目。第16戦マレーシアGPでは、史上最多タイとなる58度目のポールポジションから12度目の表彰台を獲得し、タイトルを連覇。

2010年は、5年振りに開幕戦を制したが、その直後のモトクロストレーニング中に右肩を負傷。第4戦イタリアGPのフリー走行2で転倒を喫した際に右脚脛骨を骨折。デビュー戦から続いていた史上最多の連続参戦記録が230戦で止まったが、負傷から41日後の第8戦ドイツGPに復帰すると、第15戦マレーシアGPでヤマハ機での通算46勝目を達成。

最高峰クラス12年目の2011年は、2010年8月15日に2年契約を締結したドゥカティに移籍し、ファクトリーチームのドゥカティ・チームから参戦。最高位は第4戦フランスGPの3位。2年目は2度目の2位を獲得し、前年の総合7位から総合6位に浮上。

2012年8月10日、2019年にヤマハ復帰を決断。第7戦TTアッセンで45戦振りに優勝を挙げ、総合4位に進出。2014年は、2勝を含む13度の表彰台を獲得して総合2位に浮上。

キャリア通算20年目となった2015年は、開幕戦カタールGPで5年振りに優勝を挙げ、ポイントリーダーに飛び出すと、第4戦スペインGPで史上初となる通算200度目の表彰台を獲得。第17戦マレーシアGPで、最多参戦記録を更新する通算329戦目のスタートを切ったが、レース中の行為により、ペナルティが科せられ、2009年以来6年振り、通算10度目のタイトル奪回に挑戦した最終戦バレンシアGPを最後尾の26番グリッドからスタート。4位まで挽回したが、逆転を許して総合2位に後退。

2016年は、転倒数こそ4回だったが、年間3度の転倒リタイアは、最高峰クラス1年目の1999年と総合7位だった2011年以来3度目。テクニカルトラブルで戦列離脱を強いられた第6戦イタリアGPを加えた年間4度目の0ポイントは、最高峰クラスで初めてだったが、3年連続の総合2位を維持。

2017年は、第8戦TTアッセンの優勝を含む6度の表彰台を獲得して総合5位。2018年は2012年以来6年振りの未勝利に終わったが、5度の表彰台を獲得して総合3位。

2019年は、2018年3月18日に契約期間を2年延長したヤマハのファクトリーチーム、モンスターエナジー・ヤマハ・MotoGPから参戦。2度の表彰台を獲得したが、総合7位に後退。

2020年は、第3戦アンダルシアGPで最高峰クラス199度目の表彰台を獲得したが、新型コロナウイルスに感染したことから2戦を欠場。第13戦ヨーロッパGPの2日目に復帰したが、第8戦エミリア・ロマーニャ&リビエラ・ディ・リミニGPから4戦連続のリタイアが影響して総合15位。

通算26年目、最高峰クラス22年目の2021年は、2020年9月27日にヤマハ発動機との契約を1年延長して、サテライトチームのペトロナス・ヤマハ・セパン・レーシング・チームから参戦。

2021年8月5日、25年前にキャリア初表彰台を獲得したレッドブルリンク(A1リク)で開催される後半戦緒戦、第10戦スティリアGPの開催前日にシーズン終了後に現役から引退することを発表。

2021年11月14日、キャリア通算432戦目、プレミアクラス372戦目となった最終戦バレンシアGPで現役生活に終止符を打った。

2021年最終戦バレンシアGP終了時点の成績
出走:432戦(最高峰クラス372戦)
優勝:115勝(89勝)
表彰台:235回(199回)
ポールポジション:65回(55回)
ファステストラップ:96回(76回)
タイトル:9回(7回)

 

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