ドゥカティ・レノボ・チームのマルク・マルケスは、11月11日にスペインの首都マドリード市内でパーソナルスポンサーのエストレジャ・ガリシア0,0が主催したメディアイベントに出席。5週間前に負傷した右肩の状態を説明し、タイトル奪回に至るまでの思い出を振り返った。
負傷した右肩の状態
「今までのところ、自宅で退屈しなかったし、退屈する暇もなかった。ここ数日は緩いペースでリハビリを始めた。順調。昨日は医師の診察を受け、三角巾を外した。日常生活の動作を少しずつ取り入れているところ。」
「マドリードに到着した時、医師たちは怪我がどのような状態であるかを実際に確認した。靭帯と骨が損傷しているので、回復には時間がかかるだろうと警告を受けた。5日間の回復期間が必要になることは分かっていて、手術を受けないことを決めた。その間に腫れは引いたけど、日曜日に目が覚めると鎖骨がずれていた。医師たちは手術を決断し、今は回復期間を尊重するしかない。後遺症は残らないだろう。」
「転んだ瞬間から、肩に何か問題があると感じた。何度も転んでいるから、自分の身体のことはよく分かっている。インドネシアでは落ち着いていたけど、将来については不安だった。医師からは、スケジュールを守れば大丈夫だと安心させてくれた。2026年に競争力を維持できるかどうかは、レースに欠場しないのか、バレンシアのテストに参加できないのかどうかではなく、体調次第。セパンのテストに参加できるかどうかはまだ確定していないけど、その前にはバイクに乗れるようにしたい。スケジュールは守るけど、順調に進んでいる。」
「インドネシアで転倒したとき、レントゲンを撮ったら、ネジが曲がっているのが判明した。 理学療法士のカルロス・ガルシアが『心配しないでいい』と言ってくれた。1年間ずっとこうして走り続けた。これは僕にとって、一生の付き合い。1本が曲がり、もう1本が折れた状態。腕のことを知っているのは、医師と僕だけ。2026年は僕の体調よりも、結果について語ってほしい。」
マルコ・ベッツェッキに対し非難なし
「僕は32歳。レースではこういったことが起こるのを見てきた。故意に危険な状況を作り出すライダーはいない。20歳の頃だったら、もしかしたら違った見方をしていたかもしれない。僕は最も経験あるライダーの1人。ミスを犯したライダーを責めるのは理にかなわない。僕たちはカメラの前で成熟し成長するけど、30歳を超えたライダーは言葉遣いに注意を払う必要がある。」
チャンピオンセレブレーション
「あのセレブレーションも、あのビデオも何も知らなかった。実のところ、これまでの苦難を考えると、チーム全員が『More Than a Number(数字以上のもの)』を選んだのは正しかったと思う。あの日本GPは、何かが起こっているような気がしたから、報道陣への対応を変えて、タイトルを獲得したいと言った。インドネシアで怪我をしたから、走れたのは悪くなかった。」
「マイクが付いていることは分かっていた。あれはドルナのアイディアだったし、それで構わなかったけど、自分が何を言ったのかさえ分からなくなる瞬間もあった。このタイトルを獲得するまでの道のりは、絶え間ない闘いであり、決して諦めない闘いだった。ずっと葛藤してきた中で、自分自身に忠実でありたいという思いが強く、このタイトルを獲得するという野望は、心の平安を見つけることだった。だからこそ、僕は困難で利己的な決断を下さなければいけなかったけど、環境も僕を本当に愛してくれる人たちを変えたくなかった。」
「これまでに所属してきた全てのチームと常に友好的な関係を築き、できる限り最高の形でシーズンを終えようと努めてきた。正直であれば、物事は簡単。日本では僕のチームであるドゥカティとHRCのチームが表彰台に立つという、まるで神の導きがあったかのようだった。アレックスがグレシーニ・レーシングを導いてくれたことも嬉しい。」
失敗とは挑戦しないこと
「再び競争力を取り戻し、たとえ弟にタイトルを奪われたとしても、家族のものになっていたから、それでも構わなかった。これまでに経験してきたこと、自分が下した決断は、全てチャンピオンになるためのもの。一歩一歩進んだ。失敗とは挑戦しないこと。僕たちは挑戦し、それを成し遂げた。」
ダブルセレブレーション
「特別な瞬間になので、特別なものになるだろう。コンセプトは変わっても、起源は起源であり、ルーツはルーツ。セレモニーはセルベラで開催しなければいけない。
キャリアのターニングポイント
「僕たちのやったことは普通ではなかった。型を破った。怪我の後、挑戦してみると、自分の能力がないことを悟ったけど、諦める前に、なぜなのか自問自答した。自分たちの実力を試すために、最高のバイクを探した。自分の快適なゾーンから抜け出し、グレシーニ・レーシングへの扉が開いた。まさに僕が求めていたもの、プレッシャーから解放されることだった。ドゥカティでは全てが自分の手の中にあった。」
「快適な領域から踏み出すことは、キャリアで最も難しい決断だった。 ギャンブルだと考えた。アレックスは僕を大いに助けてくれ、僕に必要なことだと助言してくれた。彼の言葉に従い、上手く行った。2024年には『何も』達成できなかったものの、自分自身を再発見することができた。それは多くの勝利よりも大切なこと。」
決断を下す瞬間
「実践的というより理論的な話し。怪我をしている間、あるいはバイクに乗っていない間は、いかなる決断もするつもりはない。よほどハッキリと理解できなければ、決断はできない。今は好調で、トップに返り咲き、自分のことを考え、少し利己的だとしても、正しい決断を下すとき。2027年は誰も最高のバイクを保証できない。テスト走行で全てが決定される。自分の直感を信じなければいけない。来年は全てがオープンになるだろう。僕たちは可能な限り最善の手段で対処しなければいけない。」
インスピレーション
「僕も周りの人たちから刺激を受けてきた。2021年、腕を吊りながらラファ・ナダルの勝利を見ていたのを覚えている。それが、僕に与えてくれたインスピレーションだから。彼の記録を全て暗唱することはできないけど、彼が何を与えてくれたのかは知っている。多くの人に、数字ではなく、そのことを通して僕を覚えていてほしい。」
アレックス・マルケス
「アレックスが開幕から最大のライバルになるだろう。『GP26』を駆る。彼はどんな状況にも対応できる能力があることを証明したけど、他のライバル、つまり成長著しい他のメーカーの存在も忘れてはいけない。だからといて僕たちのやり方が変わるわけではない。これを改善する唯一の手段は、グレシーニ・レーシングに有利に、ドゥカティのオフィシャルチームに不利になるように、立場を逆転させることだろう。弟と呼ばない。総合2位であり、何でもできるアレックス・マルケスと呼ぶ。どんなチームでも率いる能力がある。今年は自分の復帰シーズンよりも、2人の兄弟がチャンピオンと総合2位を獲得したシーズンだということを選びたい。」
フランチェスコ・バグナイア
「ペッコ・バグナイアがこんな状態になっているのを見るのは辛い。今年まさにジェットコースターのような日々を送っている。あの感覚の違いは彼自身も説明できないと思う。彼にとって一番良いのは、冬が来て、リセットすること。バイクの乗り方を忘れたわけではない。もてぎでそれを目の当たりにした。ドゥカティのプロジェクトにとって、それは最善の策だろう。」
2026年のタイトル争い
「アプリリアとマルコ・ベッツェッキがタイトルを争うことは驚きではない、KTMとペドロ・アコスタも同じ。コンセッションシステムは既に成果を上げており、2026年シーズンに向けて、そしておそらく2027年にはさらに成果が上がるだろう。」
「僕はフロントの自信を深めることで一歩前進できると思う。リアも忘れてはいけない。全ては妥協の産物だから。バイクは何度もテストを重ね、チームはパーツを完璧に入手した。最良のステップアップパッケージは『GP24』だったけど、『GP25』の革新が加わった。」
「2025年は自分が本当に持っていると感じたプロファイルで臨んだ。チームメイトは2度のワールドチャンピオン。最初からペッコが有力候補だった。カタールでは、自分が得意としないトラックで好成績を残せれば、素晴らしいシーズンになるだろうと理解した。2026年はタイトル獲得に向けて戦うとき。何があろうとも。どうなるか見てみよう。もちろん、リハビリの期間がある。目標は3月の第1週までに100%の状態に戻すこと。アンヘル・ニエトの12+1タイトルに執着するつもりはない。それはまだ遠いことだと思う。キャリアにおける最大の目標は再び勝つことだった。それを達成したけど、人生にはそういう側面もある。低迷期は必ず訪れ、若手がプッシュしてくるだろう。」
2019年以来6年ぶりにタイトルを獲得したマルク・マルケスは、最終戦バレンシアGP終了後にサーキット・リカルド・トルモで開催される年間表彰式『MotoGP™ Awards』に出席する。