Matsudo

Naoki Matsudo

  • 国籍
    jp flag
    Japan
  • オールカテゴリー 250cc
  • 生年月日 25/07/1973
  • 出生地 Barcelona, Japan

Performance stats

ライダー統計

ライダー統計

ライダープロフィール

バイク

-

生年月日

25/07/1973

出生地

Barcelona

身長

177 cm

体重

70 kg

ライダーストーリー

ブルタコの創業者パコ・ブルトの情熱を受け継いだ孫のセテ・ジベルナウは、幼い頃からバイクに親しみ(初めての鎖骨骨折は4歳!)、12歳からトライアルレースに参加。18歳の時にロードレースに転向すると、ケニー・ロバーツに才能を認められ、1993年からスペイン選手権250ccクラスへの参戦を開始。同時に、カリフォルニアのロバーツ家でダートトラックの修行を行い、ロバーツ兄弟、阿部典史らと一緒に技術を磨いた。

1996年、ウェイン・レイニー率いるチーム(マールボロ・レイニー)から250ccクラスへエントリーを開始したが、シーズン途中に、500ccクラスに引き上げられた。

2年後の1998年には、青木拓磨の負傷代役として、ホンダのファクトリーチームに抜擢。1999年には、引退したミック・ドゥーハンが使用していたNSRV4に乗り換える機会を得た。

2001年、ホンダから前年のチャンピオンチーム、スズキ(テレフォニカ・モビスター・スズキ)に移籍。レインレースとなった第12戦バレンシアGPで初優勝を果たしたが、最高峰クラスの転機となった2002年は、ワーストリザルトとなるランク16位に低迷した。

2003年、ホンダのサテライトチーム(テレフォニカ・モビスター・ホンダ)に移籍。第2戦南アフリカGPから、開幕戦日本GPで事故死した加藤大治郎のRC211Vに乗り換え、ポールポジションからチームメイトに捧げる劇的な優勝を飾った。

その後、第4戦フランスGP、第7戦オランダGP、第9戦ドイツGPで優勝。自己最高位となるランク2位を獲得。翌年の2004年には、4勝を含む10度の表彰台を獲得して、2年連続してランク2位をキープした。

2005年ランク7位に後退した後、2006年にドゥカティのファクトリーチーム(ドゥカティ・マールボロ)へ移籍。第7戦カタルーニャGP決勝レースの多重クラッシュで左鎖骨を骨折。第16戦ポルトガルGPの転倒で再び左鎖骨を骨折した。

シーズン終了後、ドゥカティとの契約が満期となり、複数のチームと交渉を行ったが、2006年11月8日、現役からの引退を発表した。

3年間所属していたホンダ・グレシーニの通算200戦目を記念するパーティに出席するため、2008年の第7戦カタルーニャGPが開催されたカタルーニャ・サーキットを訪問。その際に、ドゥカティからテスト参加の打診を受け、6月17日にムジェロで実施されたプライベートテストに参加した。

2009年シーズンに向けて、複数のオフォーを受けた中から、2008年に125ccクラスに新規参戦したオンデ2000を選択。バレンシア合同テストから、ドゥカティのサポートを受けるニエト家とフランシスコ・エルナンド(オンデ2000社のオーナー)のプロジェクトをスタートさせた。

ヘレス合同テスト後には、来季からの現役復帰に向けて、2006年に左鎖骨に埋めていた固定プレートを除去する手術を受けた。

12月15日に36歳の誕生日を迎え、チャンピオンシップ最年長となったジベルナウは、最後のレースとなった2006年第16戦ポルトガルGPまでに、現役ライダーとしては、ランク3位の参戦数(通算173戦)、優勝回数(9勝)、表彰台獲得数(30回)、ポールポジション獲得数(13回)の記録を持つ。