イタリアで生中継を放送する『Sky Sport Italia』は、元王者ホルヘ・ロレンソのインタビューを紹介。ヤマハとの間でテストライダーとしての契約が満期となり、アプリリアとのテスト契約も見送られたが、テレビ解説や若手の育成など、将来に向けて複数の計画があることを説明した。
「知っての通り、テストライダーとしてヤマハとの関係は終了しました。アプリリアに行く可能性について話しがあり、良い友人であるマッシモ・リボラであることから、接触がありました。招待を受けてF1を訪れた際に何度も会ったことがあり、交渉の席につきましたが、合意には至りませんでした。彼らは既に抱えているライダーたちを維持することを選びました。テストライダーを維持するという私の意図は固まっていますが、そうならなくても、夢が奪われることはありません。」
「自分の将来に関して沢山のアイデアがあり、それはレースよりもストレスが少ないけど、それでもワクワクします。例えば、テレビの解説。その可能性があります。若いライダーのマネージャーとして、経験を活かす選択肢も切り捨てていません。」
「私は幼い頃から非常に敏感なライダーでした。父親が異なるバイクに乗せてくれたおかげで、何が機能して何が機能しないのかを素早く理解することができました。そのスキルは常に具えていました。」
「ヤマハは開発において私を信頼してくれました。乗りやすく、直感的なバイクを作り上げて行く作業は大変良い方向に歩んでいました。ドゥカティに移籍したとき、他者がバイクの進化を担当したことから、比較することはできません。今日のバイクが優れているのか、2016年型が劣っているのか、外から知ることはできません。私が去ってから4年が経過し、開発が継続されたことから、理論的には、より優れています。私の意見では、私と一緒に走っていたときのように、完成度の高いバイクではありません。」
最高峰クラスに昇格した当時からチームメイトだったバレンティーノ・ロッシの移籍については、「ヤマハがサテライトチームで走らせることを決断したことに驚きました。決して想像することができませんでしたが、同時に、彼にとってはそれほど変わらないと思います。上手くやれるでしょう。クアルタラロとモルビデリはグレートなリザルトを獲得し、サテライトバイクでも勝てることを証明しました。バイクは戦闘力があります。問題があるとは思いませんが、メディアの観点からは、より大きな驚きでした。しかし、最終的にヤマハは誰もと同じように未来に目を向けなければいけません。2008年に彼らと一緒に始めたとき、バレンティーノが離脱(F1に転向)する場合に備えて、B計画を見つける必要があり、私という若手を選択しました。彼は41歳。将来的に若手に切り替える必要があり、クアルタラロを選択したことは論理的なことですが、驚きました。」
2年間所属したドゥカティと休止を決断したアンドレア・ドビツィオーソについては、「関係が崩れたとき、摩擦が発生することは普通のことです。2つの異なる見解があり、アンドレアは誇りとイメージを守り、ドゥカティも同じように擁護します。双方にとって成功の組み合わせだったと考えます。アンドレアは3度の総合2位を獲得し、チームはタイトル争いに戻れたことから、お互いに喜ばなければいけませんが、幾つかの摩擦は外側からは理解できない」と、私見を語った。
ホルヘ・ロレンソは、ドバイでマックス・ビアッジとバケーショを過ごした後、現在は現役時代から活動の拠点に置くスイスで暮らしている。