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2021-01-26
By motogp.com

スズキ、過去にロッシ起用の可能性を打診

ドビツィオーソとロレンソも起用の候補だったが、復帰以降ユースプロジェクトを継続。

Tags MotoGP, 2020

チーム・スズキ・エクスターのチームマネージャーを昨年末まで務めたダビデ・ブリビオは、オフィシャルウェブのインタビューに応えた際、スズキに加入した経緯とライダー選択の決断を振り返り、バレンティーノ・ロッシ、アンドレア・ドビツィオーソ、ヨハン・ザルコ、ホルヘ・ロレンソが起用候補だったことを明かした。

「当時(2012年)、ヤマハを辞め、バレのために契約などの個人レベルの仕事に従事していたとき、フェイスブック経由で佐原さんから連絡が入りました。フェイスブックはあまり使用しないことから大変奇妙なことでした。私のプロフィールが掲載されていますが、昔も今も使いません。メッセージを開いてみると、それは佐原さんでした。私が何をしているのか、将来の意図は何か、2014年に復帰したいのか、バレに関する問い合わせもあり、スズキと共に参戦する可能性があるのかを聞かれました。バレにその話しをしたところ、関心がないと言いました。ヤマハに戻ることを望んでいたからです。丁寧に、興味がないことを佐原さんに伝えました。我々は話しを始め、『イタリアにチームを作れば、興味があるか』と聞かれ、イエスと返答しました。そして、2013年4月1日、正式に就任しました。アイデアは、数ケ月間テストを実施して、2014年からスタートすることでしたが、全てを1年間延期し、2015年から参戦を開始すると言われました。」

「我々はアレイシ・エスパルガロを選択しました。既にエキスパートであり、速く、バイクのセットアップを助けてくれるからです。他のライダーに関しては、内々で協議しました。カタールで中量級のレースを見ると、ビニャーレスが終盤の10~12ラップで最も速かったところを目撃しました。そして、2戦目のオースティンで勝ちました。『これは特別。何かを持っている』と言いました。アンドレア・ドビツィオーソの獲得にトライしましたが、彼は最後の瞬間にドゥカティからの参戦を続けることを決断しました。」

「アンドレア・イアンノーネと契約すること、そして、ビニャーレスのプロジェクトを再現することを検討しました。そこで、アレックス・リンスの起用を考え、ビニャーレスと共にしたことを再現できると考えたことから、アレイシを犠牲にする必要がありました。」

「2014年、ヤングライダーのプロジェクトを開始しました。ヨハン・ザルコとの契約を結んだ一方で彼は中量級に参戦しました。彼の中量級でのラストシーズンは、スズキと契約した状態でした。才能が気に入ったリンスとザルコとの間で決断を下さなければいけませんでした。非常に困難な決断でしたが、リンスの起用を決めました。ザルコはテック3に移籍し、大変強かったことから、大きな批判を受けました。彼は表彰台を獲得しましたが、リンスは怪我を負い、非常に困難なシーズンとなりました。2017年の結果に失望しました。リンスは4、5戦に欠場し、イアンノーネにとって、彼のパフォーマンスを引き出せるエンジンではありませんでした。2018年、より適切に選択されたエンジンと共にグッドなシーズンになりました。」

「2018年、2019年のチームを決定する必要がありました。リンスのプロジェクトは機能していたことから、リンスのように再度若手を起用するというアイデアが出始め、10勝を挙げて軽量級を制したジョアン・ミルを考え始めました。その一方で、ホルヘ・ロレンソのオプションが沸き起こりました。ロレンソとミルとの間で選択する必要がありましたが、それは、ライダーの選択ではなく、哲学の選択でした。どの方向性に向かうのか。既に出来上がっているライダーを選択するのか、若手のプロジェクトを継続するのか。ミルに関する情報を得れば得るほど、何か特別だと思えました。」

「ホンダのオプションがあると我々に言いました。彼に『オプションは別として、ホンダとスズキのどちらかを選択できるとしたら、どうするか』と直接尋ねると、『スズキに行きたい』と言いました。ライディングスタイルと体格に最も適応するバイクだと伝えると、目を輝かせました。『適したライダーだ』と自分に言いました」と、困難な決断を下してきたことを説明。若手選択は功を奏し、復帰2年目の2016年にビニャーレスが2007年以来9年ぶりの優勝を挙げ、2020年にはジョアン・ミルがチャンピオン、アレックス・リンスが総合3位を獲得し、1982年以来38年ぶりにコンストラクターのタイトル獲得に成功した。

「哲学の選択」