1989年7月30日生まれ(2025年開幕時の年齢は35歳)。出身地はカタルーニャGPの開催地バルセロナ‐カタルーニャ・サーキット近郊のグラノリェース。4歳の時から父親と一緒にバイクに乗り始め、10歳の時からカタルーニャ州で開催されたエンデューロの大会に参加。2003年に2年目の『カタルーニャ選手権』を制し、2004年には2年目の『スペイン選手権』で最年少王者に輝く。
2005年、オランダ出身で世界的に有名なサッカー選手クラレンス・セードルフが結成したチーム、セードルフ・レーシングから2003年スペイン選手権王者アルバロ・バウティスタのチームメイトに指名され、フル参戦を開始。
2006年、ホンダ・BQRに所属。『125cc』に参戦していたが、『250cc』のチームメイト、マルティン・カルデェナスが他チームに移籍したことから、チーム内昇格という形で、第8戦ダッチTTから『250cc』への参戦を開始。2007年はホンダ機からアプリリア機に乗り換え、2008年はロータス・アプリリアから参戦。
キャリアの転機となったのは2009年。参戦を予定していたカンペテーラ・レーシングがシーズンスタート前にエントリーを取り消したことから、シートを喪失したが、2010年から始まる『Moto2™』への参戦を目指していたプロモレーシングからテストライダーに指名されて『スペイン選手権』に復帰。
実戦でのテストに取り組む一方で、アスパル・チームが母体となるバラトンリンク・チームから負傷代役として第7戦TTアッセンと第9戦ドイツGPに参戦して自己最高位の4位と7位。
そのパフォーマンスが評価され、プラマック・レーシングから代役として第12戦インディアナポリスGPと第13戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPに参戦して13位と11位。ドゥカティからリザーブライダーに指名され、終盤2戦にはニッコロ・カネパの負傷代役として参戦。
2010年は、プラマック・レーシングから少年期時代から憧れていた宇井陽一のゼッケン41を選択して、最高峰クラスへのレギュラー参戦を開始。
2011年は、ポンス・レーシングが母体となったポンス・HP・40から中量級に参戦すると、キャリア通算97戦目となったホームレースの第5戦カタルーニャGPで3位に入り、初表彰台を獲得。
2012年は、アスパル・チームが母体となったパワーエレクトロニクス・アスパルからCRTクレイミング・ルール・チームとして最高峰クラスに復帰すると、アプリリア製のCRT機を駆け、カテゴリーの最高位となる総合12位と11位に進出。
2014年は、NGM・フォワード・レーシングに所属。オープンオプション仕様のヤマハ機を走らせると、通算150戦目となった第8戦TTアッセンでキャリア初のポールポジション、プレミアクラス71戦目となったレインレースの第14戦アラゴンGPで初表彰台となる2位を獲得。総合7位とオープンオプションの最高位に進出。
2015年は、2011年の最終戦以降休止していたスズキのファクトリーチーム、チーム・スズキ・エクスターに所属。1年目総合11位、2年目総合11位。
2017年は、アプリリア・レーシングが技術支援するアプリリア・レーシング・チーム・グレシーニから参戦。1年目総合15位、2年目総合17位、3年目総合14位、4年目総合17位。5年目総合8位。
2022年は、アプリリアのファクトリーチーム、アプリリア・レーシングに所属。キャリア通算284戦目、プレミアクラス200戦目となった第3戦アルゼンチンGPでキャリア初優勝。32歳と247日での初優勝は、トロイ・ベイリス(37歳217日)に続く史上最年長2番目の記録となり、同時にアプリリアの『MotoGP™』初優勝をもたらすことに成功。その後、5度の3位を獲得して自己最高位となる総合4位に進出。第19戦マレーシアGPでは、史上6人目となる通算300戦目に到達。
2023年は、2022年5月26日に契約期間を2年延長したアプリリア・レーシングから継続参戦。第9戦イギリスGPと第11戦カタルーニャGPで優勝を挙げて総合6位。
フル参戦19年目、プレミアクラス13年連続14年目の2024年は、アプリリア・レーシングから継続参戦。ホームグランプリの第6戦カタルーニャGP開催前日に、シーズン終了後をもってフルエントリーライダーからの引退を発表すると、ポールポジションからティソ・スプリントで優勝、決勝レースでシーズン最高位の4位に進出。プレミアクラス255戦目(歴代2位)、キャリア通算339戦目(歴代3位)となったホームグランプリの最終戦ソリダリティGPで現役生活に終止符を打ち、7月2日に1年契約を締結したHRCのテストライダーに就任。ホンダ機の開発に従事する。