15歳の時にアメリカへダートトラックとモトクロスの修行後、本格的にロードレースをスタートさせると、僅か2年後には史上最年少18歳で93年全日本選手権500ccクラスを制覇。翌年にスポット参戦した日本GPではK・シュワンツとM・ドゥーハンらと優勝争いを演じ、衝撃的なデビューを飾った。その時の走りが評価され、K・ロバーツ率いるマールボロ・ヤマハから負傷したライダーの代役として抜擢され、3戦に参戦。95年にはフル参戦を果たすと、96年日本GPでは日本人ライダーとして初の最高峰クラス優勝を果たし、日本中を興奮させた。同時に史上最年少優勝者2番目記録を達成。97年からはヤマハ・レイニーへ、99年からルイス・ダンティーンへ移籍。02年はヤマハの開発ライダーを務める一方でスポット参戦で存在をアピールし、見事にレギュラーライダーへ復帰。フォルトゥナ・ゴロワーズ・テック3から日本人最多優勝記録更新を狙う。