1995年1月18日生まれ(2026年開幕時の年齢は31歳)。出身地は、オーストラリアの北東部に位置するクイーンズランド州のタウンズビル。8歳の時からダートレースに参戦。ダートトラック、ロングトラック、スーパーモトの州選手権、国内選手権を次々に制した後、2009年にロードに転向。2010年に活動の拠点を欧州に移し、『ドイツ選手権』と『スペイン選手権』に参戦。
2011年に『ドイツ選手権』で総合1位、『スペイン選手権』で総合11位に進出。第9戦ドイツGPにワイルドカードとしてデビューすると、カレッタ・レーシングから成績不振のライダーの後任として第13戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPから終盤5戦に参戦。
2012年からカレッタ・テクノロジーからフル参戦を開始すると、1年目総合23位、2年目総合7位。3年目はレッドブル・KTM・アジョから参戦。FTR・ホンダ機からKTM機に乗り換え、通算38戦目となった開幕戦カタールGPで初優勝、初表彰台を獲得。第2戦アメリカズGPで、軽量級の豪州人としては初の2連勝を達成。第16戦オーストラリアGPで、軽量級の豪州人としてはトム・フィルス(1961年)が記録した年間優勝数を更新。最終戦バレンシアGPで6勝目を挙げて総合2位に進出。
2014年9月18日にホンダ・レーシングとの間で2015年からの3年契約を締結し、サテライトチームのLCR・ホンダから中量級を飛び越えて最高峰クラスに昇格。1年目は全18戦中11戦で完走、6戦でポイント圏内に進出して総合19位。2年目の2016年は、ホンダのサテライトチーム、エストレージャ・ガリシア・0,0・マーク・VDS・レーシングから参戦すると、1月のトレーニング中に右脚を骨折、第10戦オーストリアGPで右手首と胸椎を骨折するなど相次ぐ負傷に苦しみ5戦に欠場したが、25戦目となった第8戦TTアッセンで雨による赤旗中断後のリスタートで初優勝。プレミアクラスの豪州人としては12人目、インディペンデントチームのライダーとしては2006年以来10年ぶりとなる勝利。
2017年はエストレージャ・ガリシア・0,0・マーク・VDS・レーシングから継続参戦して全18戦中13度のポイント圏内、9度のトップ10入りで総合18位から11位に浮上。
2018年は、ドゥカティ・コルセとの間で1年契約を締結し、サテライトチームのアルマ・プラマック・レーシングから参戦すると1年落ちのデスモセディチGP17を走らせ、第2戦アルゼンチンGPで初めてポールポジションを獲得。9度のトップ10入りを果たして総合13位。2019年はファクトリーマシンが供給され、5度の3位を獲得して総合8位に進出すると、2020年は総合7位。
2021年は、2020年5月27日にドゥカティ・コルセとの間で1年契約を更新し、ファクトリーチームのドゥカティ・レノボ・チームから参戦。カタールでの2連戦後に腕上がり症状を解消する右前腕の手術を受けたが、第4戦スペインGPと第5戦フランスGPの2戦連続優勝を含め5度の表彰台を獲得して自己最高位の総合4位に進出。2022年は、契約期間を1年延長するオプションが施行され、ドゥカティ・レノボ・チームから継続参戦すると、第16戦日本GPの優勝を含めて7度の表彰台を獲得して総合5位。
2023年は、2022年6月9日に2年契約を締結したKTMのファクトリーチーム、レッドブル・KTM・ファクトリー・レーシングから参戦。5年間駆けたドゥカティ機からKTM機に乗り換え、第4戦スペインGPで3位を獲得して総合11位。2年は総合14位。
2024年9月19日、ヤマハ発動機との間で2025年の参戦に関して契約を締結。ヤマハがセカンドファクトリーチームとして参戦することになったプリマ・プラマック・レーシングに所属し、4メーカー目となるヤマハ機に乗り換え、最高位は第3戦アメリカズGPの5位。総合17位。
フル参戦15年目、最高峰クラス12年目の2026年は、2025年9月5日にヤマハ発動機との間で契約を更新したことから、プリマ・プラマック・ヤマハから継続参戦する。