1995年1月4日生まれ(2025年開幕時の年齢は30歳)。出身地はポルトガル・リスボン近郊のアルマダ。9歳のとき、カートから二輪に転向すると、翌年に国内で開催されたミニバイク選手権でチャンピオンに輝く。その後、スペイン国内で開催されたミニバイク大会『メトラキット・ワールド・フェスティバル』、『カリプソンカップ』、『アンダルシア州選手権』、『地中海選手権』で好成績を収め、2008年には『レッドブル・ルーキーズ・カップ』の3戦に参戦して2勝を挙げる。
2009年から『スペイン選手権』に参戦。1年目は総合3位、2年目はマーベリック・ビニャーレスとのタイトル争いで全7戦中最多4勝を挙げ、2ポイント差の総合2位を獲得。『ヨーロッパ選手権』は2位。
2011年、ポルトガル史上初となるレギュラーライダーとして、2010年から所属するアンダルシア・バンカ・シビカと共に世界舞台への挑戦を開始したが、金銭面の問題が生じて第14戦アラゴンGP後に離脱。エストレージャ・ガリシア・0,0から『スペイン選手権』の終盤2戦に翌年のテストを兼ねホンダが開発する『Moto3™』マシンで参戦。
『Moto3™』元年となった2015年は、エストレージャ・ガリシア・0,0から世界舞台に復帰。2度の表彰台を獲得して総合8位に進出すると、2016年からはマヒンドラ・レーシングに所属して総合6位と総合10位。
2015年、レッドブル・KTM・アジョに所属。68戦目となった第6戦イタリアGPでポルトガル人として初優勝を挙げ、第9戦ドイツGPで左手を骨折したが、終盤3連勝を含む6戦連続表彰台を獲得して総合2位に進出。
2016年、レパード・レーシングから中量級に挑戦。右鎖骨骨折が原因で終盤4戦に欠場して総合21位。2017年は、古巣のレッドブル・KTM・アジョに復帰し、KTMが開発したプロトタイプマシンを走らせると、終盤の3連勝を含む9度の表彰台を獲得して総合3位。2018年は3勝を含む12度の表彰台を獲得して総合2位。
レギュラー参戦9年目の2019年は、2018年5月5日にKTM・レーシングとの間で最高峰クラスに昇格する契約を締結し、提携先のサテライトチーム、レッドブル・KTM・テック3から参戦。第12戦イギリスGPの決勝レースで他車との接触が原因で転倒した際に右肩を痛め、第17戦オーストラリアGPのフリー走行2で転倒した際に再び右肩を負傷したことから終盤2戦を欠場。1年目は総合17位。
2020年は、プレミアクラス22戦目となった第6戦スティリアGPで初優勝。所属するテック3にプレミアクラス初優勝をもたらすと、ホームのポルティマオ・サーキットで初開催された最終戦ポルトガルGPではポールポジションから独走優勝を果たし総合9位。
2021年は、2020年6月25日にKTM・レーシングとの間でファクトリーチームに昇格する2年契約を締結し、レッドブル・KTM・ファクトリー・レーシングに所属。1年目は1勝を含む3度の表彰台を獲得して総合14位、2年目は2勝を挙げて総合10位。
2023年は、2022年8月30日に2年契約を締結したアプリリア・レーシングから貸し出される形でサテライトチームのクリプトデータ・RNFから参戦。4年間駆けたKTM機からアプリリア機に乗り換え、素早い適応を見せたが、他車との接触転倒が原因で開幕戦ポルトガルGP右脚外旋筋の腱を損傷、キャリア通算200戦目となった第4戦スペインGPで左肩を負傷、第19戦カタールGPで右肩甲骨を骨折したことから、負傷欠場が相次いで総合16位。
2024年は、クリプトデータ・RNFを継承するトラックハウス・レーシングから参戦。2022年型から2024年型のアプリリア機に乗り換え、第9戦ドイツGPでティソ・スプリント初表彰台を獲得したが、第15戦インドネシアGPで右手首を骨折したから5戦に欠場。最終戦ソリダリティGPで復帰して総合15位。
フル参戦15年目、最高峰クラス7年目の2025年は、2024年9月5日にヤマハ発動機との間で2025年からの2年契約を締結し、セカンドファクトリーチームのプリマ・プラマック・レーシングに所属。KTM機、アプリリア機に続き、ヤマハ機を駆ける。